心のノート(9) ~感情表現の大切さについて~
反応の反対は無反応ではない
クリックいただきありがとうございます。
どうも。shoneです。
本日は、「反応の反対は無反応ではない」という言葉を紹介させていただきます。
まずみなさんに質問です。
反応の反対が無反応ではない、ということは本当はなんだと思いますか?
例えば、私がこの言葉に出会った時に思い浮かべたシチュエーションとしては、
バスケットボールの練習中に、キャプテンとして必死にチームを引っ張ろうと思い、励ましや応援の声、時には厳しい声掛けをすることがあったのですが、その声掛けが独り歩きしてしまう状況です。
また、中学生を指導している際に見られる光景でもあります。
私がアドバイスをするために、名前を呼んで話しかけることがもちろんあるのですが、その時に目は合っているけど返事がない。
とか、教え子の中で先輩として後輩に指導している時にも、教えてもらっている後輩側の反応が薄かったり。
そんな時、私はこう思うんです。
「発信してる側の気持ちは受け取る側に伝わっているのか???」 と。
つまり、相手になにか言われているのに対して、反応がないということは
「無視している」
のと同じだというのが、この言葉の答えです。
なので、この言葉に出会って以降は、指導をしている時にこのシチュエーションを見かけた際、私は
それは無視しているということになるんだよ、
もし自分が同じことされたらどう思うかな?、
どうせなら”リアクションボイス”出して盛り上げていこうよ、
といったことを伝えるようにしています。
やっぱりこの世の中、独りで生きていくことはできないし、何をするにも必ず他人との関係というのが生まれると思います。
免れないものであるのだから、どうせなら少しでも気持ちのいい関係でいられる方法を、子供たちには上手く教えられたらいいなと、私なりに精進してまいりました。
前回の心のノートで紹介した、「優しさに気付くのもまた優しさ」
にもつながることですが、
誰かが思いやりを持って行動している時・言葉をかけている時は、私はしっかり気付いてあげられる大人になりたいと強く思っています。
そしてこのリアクションすることの大切さについては、
バスケットボールをプレーすること、そして指導すること、友人・家族とのコミュニケーションなど、大概の事は課外活動を通して学んできました。
だから私は強く願っていることがあります。
今の教育業界は働き方改革という名目で、課外活動を外部の者に委託する動きが見られます。
また、コロナ禍を経て子供たちの行動を未だに制限している環境もあります。
学習指導要領の改正などで、時代に合った教科指導というのができてますが、先生はそちらに時間を追われてしまい、子供の成長を応援し、支援し、見届けるといった真の教育が軽視されていないでしょうか?
これからの時代、恐らく私たちが想像している以上に変化が激しくなり、正解のない選択を強いられることがより多くなると思われます。
そんな時に大切なことって、自らが必要なことを考え、実行し、改善していく、そしてこれらを様々な人と協力して遂行するといったことが必要になるのではないでしょうか?
AIやロボット技術が進化してきた時、人間には何ができるのでしょうか?
私は絶対に負けないものがあると思います。
それは感情を表現することです。
嬉しい時に笑顔になる、むかついた時に怒る、失敗した時に悲しむ、感動して大号泣する・・・これらは人間にしかできません。
この大事なことを、子供が学ぶ場をもっと提供していかなければいけないと私は思っています。
それは課外活動であること、更に細かく見ると、相手の優しさに反応してあげることがその第一歩目だと。
といった感じで、生意気ながら私の意見を少し長めに書いてしまいました。
大変申し訳ございません。
今回は「反応の反対は無反応ではない。無視することである」を紹介させていただきました。
読んでいただきありがとうございました。
ーーーみなさんの明日がより素敵なものになりますようにーーー
~次回の心のノート~
「心とは、今目の前にある現実にとらわれぬ信じ抜く心」
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